パニック障害になってから日常生活で困ったこと上位に入るのが
電車に乗れない
ということでした。
この記事を書いている今も電車を避けて日常生活を送っています。
正確には、一度大丈夫になった時期があったのですがこの電車で倒れた事件があってから再度電車に乗ることを極力避けてしまっています。
今回は、倒れた原因はなんだったのか?
倒れたその後はどうなったのか?
を書いていきたいと思います。
この記事におすすめの方
- パニック障害で電車が怖い人。
- パニック障害で電車で倒れる可能性がある人。
- 周りにパニック障害の方がいる。
- 電車で急病対応をする機会がある人。
なぜ倒れたのか
パニック障害になってからも、何度も乗ってきました。
最初は恐怖と闘いながらでも、一時期は電車に対する恐怖がほとんど無くなっとように思えた時期もありました。
では、同じ電車に乗るという行為でも今回は倒れてしまったのか?
倒れてから半年以上経った今だからこそ、きちんと向き合い頭の中を整理していきたいと思います。
疲労が溜まっていた
寝不足と疲労はパニック障害にとって天敵です。
わかっていたはずなのですが、倒れた当時の私は出産後間もない状態で、慢性的な寝不足と疲労マックス状態。
それでも、どうしても上の子と赤ちゃんを連れて出かけなくてはならない用事がありました。
おそらく頭もきちんと回らないので通常だったら絶対に取らない
寝不足と疲労が溜まった状態で電車に乗る
という選択をしてしまったのだと思います。
乗るのが久しぶりだった
出産間近までは、ほとんどどこへ行くにも自家用車で家族に送ってもらうか、タクシーでした。
(念の為記載しておきますがセレブだからではなく、そのように医師から助言があったためです。)
タクシーで行けない距離や家族の都合がつかず送ってもらえない場合は行かないという選択肢でした。
出産間際なのでそもそも用事が健診くらいしかなかったというのもあります。
なので、通勤をしていた時のように日常的に電車に乗るという生活からかけ離れていました。
私にとって電車は難易度の高いものだったため、いきなり乗るべきではなかったんです。
パニック障害になってから初めて電車に乗るときに何度も練習をした時と同じく徐々に慣れていく必要があったのです。
準備がしっかりできていなかった
パニック障害になってから初めて電車に乗ったとき。
やっと電車に乗れるようになってから。
どんな時も自分のお守りセット(頓服や冷たい水や保冷剤など)を必ず用意して、
これがあるから大丈夫!
と自分に言い聞かせての乗ってきました。
ちょっと今日は体調的に発作が起きてしまうかもしれないとう時にも何度も何度も救われていました。
それなのに今回はお守りセットは持たずに乗ってしまったんです。
今思うと、本当に正気の沙汰ではないです。
こんな判断をした自分に恐怖すら覚えます。
倒れた時に起きた周りの状況
私は幼少期から閉所恐怖症を持っています。
それがパニック障害になって悪化したのとパニック障害の予期不安などによって
電車=怖いもの
へとなってしましました。
それでも、今まで(なんとかギリギリ)倒れずに乗ってきたのに今回倒れてしまった時の外的要因はどのようなものがあったのでしょうか。
電車が急停車した
パニック障害になってから、ドキドキしたりしながらも何事もなく普通に乗っている分には大丈夫なことが多かったです。
ただし、他の記事でも書いていますが予測不可能なこと
緊急停車
がとても怖いです。
今回倒れた時のトリガーは間違いなくこの緊急停車でした。
助けてくださった方が、車掌さん?に説明するときに緊急停車してから急に震え出して‥と説明してくださっていたのも聞きました。
すぐにアナウンスがなくどうなるのかわからなかった
緊急停車で心臓がバクバクしたり、正常でいられないのはいつものことです。
その場合は、まず頓服を飲んで保冷剤で体を冷やして‥と慣れた手順で自分を落ち着かせていきアナウンスを待ちます。
何が起こったのか、どの程度で解消されるのかの目処を教えてもらえるとそれまでいつものお守りグッツでなんとか意識だけは保つことができていたのです。
それが、今回は対応するお守りグッツもなくアナウンスもなかなかなかったので落ち着く術がないもなくそのまま発作へと繋がっていきました。
実際には、アナウンスが遅かったのかどうかは時間を測っていたわけではないのでわからないですが、少なくとも落ち着く術を持っていなかった私にとってはとても長い時間に感じられました。
私にとって、発作が起こるかもという時の、外的要素はかなり重要です。
倒れる時の感覚
震え
発作が起きる直前(電車が緊急停車した時)はバクバクと自分でもわかるほどに震えが止まりませんでした。
バックに何か発作を抑えるものが入っていないかを確認するための手も震えてバックを開けることもできない状態で子供にあけてもらいました。
動悸・目眩
子供にバックを開けてもらっても発作を抑えるのに役に立ちそうなものは入っていなく、次第に動悸がひどくなってきました。
動悸がひどくなるまでは何度か経験しているのですが明確な目眩を感じたのは初めてでした。
フラフラするし、もう何も考えることはできない状態になりました。
しゃがみ込む
目眩がしてからは、座っていることもできなく立ったり座ったりをしていたそうです。
めまいがしている状態でそのようなことをしていたので座席から雪崩れるようにして床に倒れ込んだようです。(助けてくださった方からのお話)
どうなったのか
私も倒れるまで不安だったんのですが、実際に倒れても今こうやって生きているので倒れても大丈夫だということは間違い無いです。
思っているよりも世界は優しさで溢れているんだなと思いました。
では実際に倒れた時、どうなったのか。
具体的にまとめていきたいと思います。
声をかけてもらえた
まず、私がしゃがみ込んだ時に向かいに座っていた女性がすぐに声をかけてくれました。
「どうしたの?具合悪い?」
床にしゃがみ込む私を支えながら優しく声がけしてくださったのですぐに事情を説明しました。
そこまで発作がひどくなってしまうと自分から助けてくださいと声かける余裕もないので声かけていただけるのは本当にありがたかったです。
その女性は、母親を心配する子供のメンタルもすぐに気にかけてくれ
「お姉ちゃん、ママのお手伝い偉かったね。大丈夫だからね。」
とういうような内容の話をしてくれていたのも聞こえました。
ちなみに、当時頭は真っ白ですが意識はありましたし話をすることも(何とか)できました。
今も当時の会話や状況など記憶にしっかり残っていますし、助けてくださった皆様にはずっと感謝しています。
子供をみてもらえた
その女性が、他の女性に助けを求めてくれたようでもう一人の女性が登場しました。
もう一人の女性は、赤ちゃん(抱っこ紐)を預かってくれ上の子にも優しく接してくれました。
自分のことでいっぱいっぱいだった私ですが常に子供のメンタル含むケアを気にしていたのでこの対応も本当に助かりましたし、この人たちは私を助けようとしてくれているんだなと心の支えになりました。
医者が登場した
ここは何故だか思い出せないのですが、どこからともなく
「医師です。大丈夫ですか?」
という方も登場してくださいました。
きっと女性か、周りの方たちが医師はいませんかなどと聞いてくださったのかと思います。
ここでも最初の女性が事情を説明してくださっていました。
「それまでは普通だったのに、電車が緊急停車したら突然震え出した」
と話していたのが聞こえました。
若者が車掌に連絡してドアを開けてくれた
皆さんに助けてもらって最初ほどのパニックは治ってきたものの、とてもすぐには椅子に座ったりできる状態ではなかったです。
確かここも女性が、若者たちに
「車掌さんに連絡して」
のような指示を出してくれていたのを覚えています。
私が最大に怖いと感じていた点は、
電車が止まった場合は絶対に出ることができなく閉じ込められてしまう。
という点だったのですが、若者の連絡により車掌さんがいとも簡単に私の乗ってるドアを開けて入ってきてくれました。
「大丈夫ですか?」
ここでやっと私のパニックは完全に治りました。
たまたま急停車したのが駅のホームだったから可能だったことかとは思いますが、とにかく出してと言えば出してもらうことができるということが身をもって分かり少し安心しました。
電車から出て冷静さを取り戻した私は支えてくださった方々へ感謝してもしきれなく、涙が出そうなくらい人の温かみを感じました。
最初に声をかけてくださった女性は、私の荷物を持って私と一緒に降りてくれました。
赤ちゃんを預かっていてくださった女性も、ずっと赤ちゃんを抱え上の子を励ましながら私と一緒に降りてくれました。
私が逆の立場だったら、瞬時にそのような行動が取れるかといったら多分無理です。
自分の小ささを感じながら、このような暖かい人間になりたいと心から思いました。
元々緊急停車していたのに加えて私の件で多分電車の止まっている時間が少し長くなってしまったと思います。
色々な方に迷惑をかけてしまいましたが、それでも否定的な言葉は誰からも言われなかったのもありがたいです。
最初に声掛けしてくれた女性は私にずっと
「大丈夫だからね、大丈夫だからね。」
と励ましてくれてその言葉にも心から救われました。
その後どうしたのか?
落ち着きを取り戻した私は駅のホームで冷たいお水を買って飲み、少し休憩をして次の電車に乗りました。
驚くべきことに最初に声をかけてくれた女性、赤ちゃんを預かってくれた女性も私と一緒に再度電車に乗ってくれました。
本来ならば、降りたりせずそのまま電車に乗って帰りたかったはずなのに私が不安にならないように、一緒に電車を降りて帰りも心配してくれて
タクシーで帰る?電車で帰る?
とホームで聞いてくれました。
普段だったら、そんな怖いことがあった電車にすぐに再度乗るなんてことは絶対にしません。
でもその時はその女性たちのおかげで何とかなりそうな気がしたんです。
そういうと、同じ方向だから一緒に乗ろうと言って乗ってくれてその間もずっと話しかけてくれていました。
もしかしたら、最初に声をかけてくれた女性は医療従事者だったのかもしれません。
パニック障害は、人と話をしていると過呼吸になりにいことを知って話しかけてくれていたような気がします。
まとめ
パニック障害というと、どうしてもめんどくさい、大げさだと思われると思っていました。
でも世界は思ったよりも温かいのかもしれないと思いました。
少なくとも、私に最初に声をかけてくれた女性は私を本心で心配してくれていたことは充分に伝わってきました。
そのように思ってくれる方がいるという事実だけでも心が救われました。
この記事のまとめ
- 安心お守りセットは完治するまで欠かさない
- 電車で倒れても今こうして元気でいるので何とかなる
- 世の中には温かい人もいる
- 頼れる時は人に頼って大丈夫
- 大丈夫だよという声がけが何よりありがたい